- 2050/12/31
エントリー
- 2020/07/14
- 老子
第四十七 鑒遠
第四十七 鑒遠
不出戸、知天下、不闚牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。
外に出なくても天下の動きを知る(知識の追求は)
一歩も戸外に出ないで、人は世の中の出来事を知ることができる。
窓外に目をやることなくて、人は天の「道」を見ることができる。
多くの知識を求める人ほど知ることは少ない。
そうだからこそ聖人は、あくせくと動き回らずに、ものの動きを知り、一々見ることをしなくても、理解し為すことなくても、ものごとを成就させる。
- 2020/07/14
- 老子
第四十八 忘知
第四十八 忘知
爲學日益、爲道日損。損之又損、以至於無爲。無爲而無不爲。取天下常以無事。及其有事、不足以取天下。
無為にして世界を支配する
知識を求める学徒は日に日に知識を増やそうと学ぶことを求め
「道」を求める者は日に日に(知識を)失っていくことを求める。日に日に失っていき、ついに無の状態(無為自然の境地)に至る。
世界を支配する者は、しばしば無為にして(徳による感化によって)それを成就する。
ある者が無理矢理に(人に命令し駆り立てて)世界支配を成し遂げようとと努めるとき、世界はすでに手の届かぬ彼方にある。
- 2020/07/14
- 老子
第四十九 任徳
第四十九 任徳
聖人無常心。以百姓心爲心。善者吾善之、不善者吾亦善之、徳善。信者吾信之、不信者吾亦信之、徳信。聖人在天下、歙歙爲天下渾其心。百姓皆注其耳目。聖人皆孩之。
人々の心を心として
聖人は意見や感情を自分自身の独自のものと考えないで、世人の意見や感情を己のものとする。
善人は善人として認め、悪人にもまた善人として接する。
それは本性では善だからである。
正直者にはその正直さを認め、うそつき者であっても(その人格を)認める。
その本性に信(まこと)があるからである。
聖人は、世の中に平和によく調和して住む。世の人々は精神的連帯の中に結び合わされ、聖人はそれらすべての人々を自分の子どもとして扱う。
- 2020/06/26
- 老子
第五十 貴生
第五十 貴生
出生、入死。生之徒十有三、死之徒十有三。人之生、動之死地亦十有三。夫何故。以其生生之厚。蓋聞、善攝生者、陸行不遇兕虎、入軍不被甲兵。兕無所投其角、虎無所措其爪、兵無所容其刃。夫何故。以其無死地。
持続される不死の命
生を終えて、死に入る。命に随伴するもの(器官)は、13ある。
例えば、人の体には4本の手足と9つの穴がある
死に随伴するもの(器官)もまた、13である。
人の命が死の世界に送り込まれるのもまた、身にそなわった13のものである。
それはどうしてなのか。
それは、その人が多岐にわたる生活のために、あくせくと生きたからである。(結局、死ねば身も心も消滅してしまう)
質の高い人生を送った人は、陸行して、虎や野牛(バッファロー)に襲われることはないし、戦場で、武器で殺傷されることもない。
とはよく言われてきたことだ。
猛々しい野牛の角も、このような人には無力である。
どうしてそうなのか。
それは、その人が生死を超えている(不死の命を保つ)からである。