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2019年03月の記事は以下のとおりです。

第七十七 天道

第七十七 天道

天之道其猶張弓乎。髙者抑之、下者擧之。有餘者損之、不足者補之。天之道損有餘而補不足。人之道則不然、損不足以奉有餘。孰能有餘以奉天下。唯有道者。是以聖人、爲而不恃、功成而不處、其不欲見賢。

 

弓を張る

天の「道(タオ)」は、弓をたわめるのに似ていないだろうか。弓の上端は押し下げ、下端を引き上げ、ゆるんだ弦は短くし、弦が短ければつなぎ足す。天のやり方は、物が多くありすぎるところから取り去って、物が不足しているところへ補うように施してやる。これは人間のやり方ではない。人は持たない者(貧者)の所から取り上げて、豊かに富んでいる者(富者)への捧げ物としている。充分に物が有り余る富者で、それを世界中の者に分け与えてやる人がいるだろうか。それができるのは「道」を体得した人だけである。このように、聖人は(「道」にかなうように)行為して、所有しない。それは聖人が物事を成し遂げても、見返りの名声を要求しないし、そもそも自分が優れているように見られることを望まないからである。

第七十八 任信

第七十八 任信

天下莫柔弱於水。而攻堅強者莫之能勝。其無以易之。弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。故聖人云、受國之垢、是謂社稷主、受國不祥、是謂天下王。正言若反。

 

水より弱いものはない

水より弱々しいものはない。しかし、どんな固いものにも打ち勝つ水より、優れているものはない。というのは、水の代わりをするものはないからだ。柔弱は強健に打ち勝ち、やさしさは剛直に打ち勝つ。誰もが(水のようにやる)やり方を知らないし、できもしない。だからこそ聖人は言う、「世の中の汚名を我が身に引き受ける人は、国の守護者(王者)である。世の中の罪業をその身に受け止める人は、世界の王である。」このように、真理の言葉は曲がった(反対の表現の)ように聞こえるものだ。

第七十九 任契

第七十九 任契

和大怨必有餘怨。安可以爲善。是以聖人執左契而不責於人。有徳司契、無徳司徹。天道無親、常與善人。

 

平和な解決

大きな恨みを和解させても,後に必ずいくらかの恨みが残るものだ。とても満足すべきこととは考えられない。 そうだから,聖人は割り符の(請求権がある)左半分を保持していながら,相手方(右半分を持つ債務者)を罪に落とさない(債務の完済を追求しない)。(割り符をしかと保持するのは)有徳な人にとっては調停のためであり, 悪徳の者にとっては相手を罪に追い込むためである。 しかし(古諺にも言う),「天の道はあまねく公平であって, いつも善人の側に立っている」と。

第八十 獨立

第八十 獨立

小國寡民、使有什伯之器而不用。使民重死而不遠徙。雖有舟轝、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。使民復結繩而用之、甘其食、美其服、安其居、樂其俗。鄰國相望、雞犬之聲相聞、民至老死不相往來

 

小さな理想郷

国を小さくし、民を少なくする。さまざまな道具はあるが、使用する事はない。
民の生命を重んじて,遠くに移り住まわせない。
船や車はあるが、これに乗っていく所はない。
鎧、刀など武器はあるが、これを集めて軍隊にする事はない。
民には古代のように縄を結んで記録する方法を取らせている。
食べ物はおいしく、着るものはきれいだ。住まいも気持ちよく、皆、風俗になじんでいる。
隣国とは互いに望見する事は出来るし、鶏や犬の声も聞こえてくるが、老いて死ぬまで互いに行き来する事はない。

第八十一 顕質

第八十一 顕質

信言不美、美言不信。善者不辯、辯者不善。知者不博、博者不知。聖人不積、既以爲人己愈有、既以與人己愈多。天之道、利而不害。聖人之道、爲而不爭

 

天の道

真実の言葉は耳に快く響かない。
耳に快い言葉は真実ではない。
優れた人はしゃべりたてることはしない。
言葉で言いつのる者は優れた人ではない。
賢人は物知りではない。
物知りを自慢顔の人は賢い人ではない。
聖人は自分のために蓄財などせず、全ての力を人のために尽くし、かえって豊になる。
聖人の道(聖人が行う生き方)は、成し遂げられても、他人と争うことをしない。

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