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2020年11月の記事は以下のとおりです。

體道第一

體道第一

道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲、以觀其妙、常有欲、以觀其徼。此兩者、同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。

 

道を語りうるものであれば、それは不変の「道」ではない。「名」が名づけうるものであれば、それは不変の「名」ではない。天と地が出現したのは名づけえないものからであった。名づけうるものは、万物の母にすぎない。

まことに「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(かくされた本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは『徼』(その結果)だけしかみることができない」。この二つは同じものから出てくるが、それにもかかわらず名を異にする。
この同じものを「玄」(神秘)とよぶ。いやむしろ「玄」よりも、あらゆる「妙」が出てくる門である。

養身第二

養身第二

天下皆知美之爲美、斯悪已。皆知善之爲善、斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音声相和、前後相隨。是以聖人処無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辞、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。

 

天下すべての人がみな、美を美として認めること、そこから悪さの観念が出てくる。
同様に善を善として認めること、そこから不善の観念が出てくるのだ。
まことに「有と無はたがいに生まれ難しさと易しさはたがいに補いあい、長と短は明らかにしあい、高いものと下いものはたがいに限定しあい、音と声はたがいに調和を保ち、前と後ろはたがいに順序をもつ」のである。それゆえに、聖人は行動しないことにたより、ことばのない教えをつづける。

万物は、かれによってはたらかされても、その労苦をいとわないし、かれは物を育てても、それに対する権利を要求せず、何か行動しても、それによりかからないし、仕事をしとげても、そのことについての敬意を受けようとはしない。
自分のしてことに敬意を受けようとしないからこそ、かれは追いはらわれないのである。

安民第三

安民第三

不尚賢、使民不爭。不貴難得之貨、使民不爲盗。不見可欲、使民心不亂。是以聖人治、虚其心、実其腹、弱其志、強其骨。常使民無知無欲、使夫知者不敢爲也。爲無爲、則無不治。

 

もしわれわれが賢者に力をもたせることをやめるなら、人民のあいだの競争はなくなるであろう。
もしわれわれが手にはいりにくい品を貴重とする考えをやめるならば、人民のあいだに盗人はいなくなるであろう。
もし、欲望を刺激する物を見ることがなくなれば、かれらの心は平静で乱されないであろう。

それゆえに、聖人の統治は、人民の心をむなしくすることによって、人民の腹を満たしてやり、かれらの志を弱めることによって、かれらの骨を強固にしてやる。
いつも人民が知識もなく欲望もない状態にさせ、知識をもつものがいたとしても、聖人はあえて行動しないようにさせる。
かれの行動のない活動をとおして、すべてのことがうまく規制されるのである。

無源第四

無源第四

道冲、而用之或不盈。淵乎似萬物之宗。挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。湛兮似常存。吾不知誰之子。象帝之先。

 

「道」はむなしい容器であるが、いくらくみ出しても、あらためていっぱいにする必要はない。
それは底がなくて、万物の祖先のようだ。
その中にあってはすべての鋭さはにぶらされ、すべてのもつれは解きほぐされ、すべての激しいようすはなだめられ、すべての塵ははらい除かれなめらかになる。
つねにふかぶかと水をたたえた深い池のようだ。

それは何ものの子であるのか、わらわれは知らない。
だがそれは実質のとらえがた象(すがた)として、太古の帝王より以前から存在していた。

虚用第五

虚用第五

天地不仁、以萬物爲芻狗。聖人不仁、以百姓爲芻狗。天地之間、其猶槖籥乎。虚而不屈、動而愈出。多言數窮。不如守中。

 

天と地に仁(いつくし)みはない。それらにあっては万物は、わらでつくった狗のようなものだ。

聖人にも仁みはない。かれにとって人民どもは、わらでつくった狗のようなものだ。

だが天と地の中間は、ちょうど槖籥(ふいご)のようだといえるだろう。
その内部は虚であるが、力が尽きはてることはなく、動かせば動かすほど力が多く出てくる。

いっぽう口かずが多ければ、しばしばことばの威力は使いはたされる。心のなかにじっと保っておくことにこしたことはない。

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