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第五十 貴生

第五十 貴生

出生、入死。生之徒十有三、死之徒十有三。人之生、動之死地亦十有三。夫何故。以其生生之厚。蓋聞、善攝生者、陸行不遇兕虎、入軍不被甲兵。兕無所投其角、虎無所措其爪、兵無所容其刃。夫何故。以其無死地。

 

持続される不死の命

生を終えて、死に入る。命に随伴するもの(器官)は、13ある。
例えば、人の体には4本の手足と9つの穴がある
死に随伴するもの(器官)もまた、13である。
人の命が死の世界に送り込まれるのもまた、身にそなわった13のものである。
それはどうしてなのか。
それは、その人が多岐にわたる生活のために、あくせくと生きたからである。(結局、死ねば身も心も消滅してしまう)
質の高い人生を送った人は、陸行して、虎や野牛(バッファロー)に襲われることはないし、戦場で、武器で殺傷されることもない。
とはよく言われてきたことだ。
猛々しい野牛の角も、このような人には無力である。
どうしてそうなのか。
それは、その人が生死を超えている(不死の命を保つ)からである。

第五十一 養徳

第五十一 養徳

道生之、徳畜之、物形之、勢成之。是以萬物、莫不尊道而貴徳。道之尊、徳之貴、夫莫之命而常自然。故道生之、徳畜之、長之、育之、成之、孰之、養之、覆之。生而不有、爲而不恃、長而不宰。是謂玄徳。

 

玄妙な徳の力

「道」がそれらに命を与え、「徳(道の力)」がそれらを養う。
物質界がそれらに形を与える。
諸々の動因がそれらを作り上げる。
だからこそ、それらすなわち森羅万象ことごとくが「道」を敬い、「徳」を讃えるのだ。
「道」が敬われ「徳」が讃えられるのは、強制されてのことではなく、自ずからそうなるのである。
そうだから「道」はそれらに命を与え、「徳」がそれらを養い、それらを成長させ、発展させ、住処(すみか)、すなわち安住の地を与え、育ててやり、かくまってやる。
「道」が命を与えても己のものとせず、行為して(万物を助けて)なお執着せず、超然たる中に、万物をあるがままに保つ。
これらすなわち「玄妙な徳の力」の所以である。

第五十二 歸元

第五十二 歸元

天下有始、以爲天下母。既知其母、復知其子、既知其子、復守其母、没身不殆。塞其兌、閇其門、終身不勤。開其兌、濟其事、終身不救。見小曰明、守柔曰強。用其光、復歸其明、無遺身殃。是謂習常。

 

絶対者の中に憩う

天地(あめつち)に始めがあり、名付けて「天地の母」という。
その「母」によって、その子(万物)を知る。その子を知って、その母につく。
そうすれば、人の生涯は危害から守られるだろう。(感覚の外への)窓をふさぎ、(出入りの)門を閉じれば、人の生涯は労苦から解放される。
窓を開き、世事に奔走しても、人の生涯は少しも報われることがない。
小さなものをよく見る人は、明視の人である。控えめに振る舞うものは強い。
光を用い、明視の様に帰る、そうすれば、人は後々の辛苦が避けられる。
これが「絶対者(道)」の中に安んじる道である。

第五十三 益證

第五十三 益證

使我介然有知、行於大道、唯施是畏。大道甚夷、而民好徑。朝甚除、田甚蕪、倉甚虚、服文綵、帶利劔、厭飮食、財貨有餘。是謂盗夸。非道哉。

 

略奪する者

われに「純朴な知識(道の体得)」があれば、大道を歩き(「道」を踏み行い)、小道(脇道)に踏み込むことはない。大道は歩くに易(やす)いというのに、人々は小さな脇道に入り込むのを好む。宮廷はきちんと清められているというのに、田畑は荒れ果てており、民衆の穀倉はなはだ貧弱である。その一方で、きらびやかに縫い取りした豪華な衣服をまとって、身には剣をたずさえ、美味美酒で飽食の輩(やから)は、富と財産のことで争っている。これこそまさに世の中を盗賊の巣へと導くやり方である。「道」の堕落と言うべきではないのか(道の退廃と言わずして何であろうか)。

第五十四 修觀

第五十四 修觀

善建者不抜、善抱者不脱。子孫以祭祀不輟。修之於身、其徳乃眞。修之於家、其徳乃餘。修之於郷、其徳乃長。修之於國、其徳乃豐。修之於天下、其徳乃普。故以身觀身、以家觀家、以郷觀郷、以國觀國、以天下觀天下。吾何以知天下然哉。以此。

 

個人そして国は

しっかりと立てられた者は、揺るぎなくそこに立つ。固い信念の人は、容易には動かされない。世代から世代へと、先祖をまつる(いけにえの)儀式は、よどみなく受け継がれていくだろう。(この道を)身に修むれば、品性は真正なものとなり、家においておこなわれれば、家の品格は豊かになり、村落においておこなわれれば、村落にはやさしさがみなぎり、一国においておこなわれれば、その国は豊かに富み、全土にゆきわたれば、道は普遍的なものとなる。このようであるから、個人の品性を見て、その個人を判断し、家の品格を見て、その家を判断し、村落の雰囲気を見て、村落を判断し、一国の豊かさを見て、その国を判断し、全土の有様を見て、全土の現況を把握する。どうして、こんな考えが正しいと思うのか。それは、これ(上に述べた見方)によってである。

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